吉本 ばなな NP

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吉本 ばなな np
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吉本 ばななのNPを読んだので、
この小説の特徴や人生に活かせるポイントをまとめた。

1.吉本 ばなな NP


NPというタイトルは、高瀬皿男という小説家が書いた小説が基になっている。
この英語で書かれた小説の翻訳に関わった3人もの人が死んでいるというのだが、
ここで気にくわないことがある。

1-1.自殺願望


それは、庄司(ヒロインの彼氏)を初め、自殺するもっともな理由がないにもかかわらず、
自殺するということである。

『ノルウェーの森』のキズキの様に、自殺する理由がないのに、
自殺するのが僕には気にくわない。

苦しい、辛い・・・今や今後の苦しみよりも、死ぬ瞬間の苦しみが上回っているから、
死にたいというのなら、納得がいく。

しかし、この小説では、自殺そのものにあこがれての自殺願望を持っているのが、
現実離れしている。(もともと小説は虚構だが)


そして実際小説の中でこう語られている:

乙彦:「そう、日本語訳にかかわった人が3人も死んでる。知ってるよね?
「私」:「ええ、はじめに手がけた大学教授と、下訳の女子学生、それから庄司。みんな自殺なのね。どうして?」
乙彦:「あの本に魅かれる人、訳したいと思う人は、同じく自殺願望を秘めているんだと思う。本のほうが呼ぶんだ。」
(本書P30、会話主体は僕が付加)



余談だが「私」はこのNPが呪われていると言っているが、単に自殺願望を秘めている人が
単にこの本に惹かれて、自殺しているだけに過ぎないと思う。

本のほうが呼ぶのではないのだよ、乙彦君。(笑)

タバコは健康に悪い思う人は、健康に悪いという本や論文を読もうとし、
健康への悪影響にはならないと思う人は、ならないという本や論文を探すのと同じさ。


脱線したが、肉体的・精神的な苦しみ故の自殺願望ではなく、
自殺にあこがれての自殺願望というのが、あまりにも現実から離れているために、
僕には登場人物(庄司・高瀬皿男)がイキイキと感じられず、あくまで小説の中の架空の人物に過ぎない感覚がする。

1-2.NPの中の死


ただ、死について書かれた面白い(interesting)箇所があった:
2箇所引用してみる。

庄司の骨は、ボストンバッグに入れるとき、からんという音をたてた。
海の響きを懐かしむように、耳元でしばらくならした。


私が寄りかかるとちょうどいい形にくぼみ、運転のじゃまにさえならなかった
あの肩の厚みを思い出した。

顔ではなく、肩とハンドルを握る手だけを。

あの中にこれが入っていて、死ぬとこんなふうにものになってしまう。
(本書P211)


「私」が、死んだ庄司の骨を焚火にくべた後で・・・

乙彦:「さて鳥でも焼くか。でも、骨の後ってちょっと嫌だな。」
「私」:「人も鳥も肉よ。」
乙彦:「それもそうか。」
(本書P227、会話主体は僕が付加)


普段は我々は鶏とか豚を機能的側面から見ている、つまり、
あくまでも食べ物(肉)として見ているのに対して、自分や他人に対しては
そういう風には見ていないので、人間と家畜は本質的に違うものだと思いがちであるが、
結局は「骨付きの肉の塊」に過ぎないし、焼かれれば骨と灰になるのだ

宇宙の歴史136億年の中で僅か数十年かそこらしか生きられず、結局は灰となり「永遠の無」に帰する・・・
そう考えると、虚無主義に陥る可能性もあるが、逆に自由な解放感を感じることもできる

1-3.その人が思うように生きていい


よしもとばなな(吉本ばなな)はNPの小説に関して、
次のように言っている:

私も含めて、私のまわりにも、あなたを含めて多分あなたのまわりにも、
「困った人」はたくさんいます。

才能だったり、欠落だったり、生きにくい何かをいつも抱えて歩いている人。

でもこの世にいるどのような人も、
誰にもはばからずに好きな位置でその人が思うように生きていい、
そういうことを自分も含めて忘れそうになりそうなので、
それを強くこめて、いまここで作品にしたかったのです。


よしもとばななが言っているように、
NPに登場する「私」や萃といった登場人物は、しがらみに縛られずに、
風の様に自分になりきって生きていて、清々しさを与えてくれる。

その意味で、生きづらさを抱えて生きている人は、
読んでみる価値はあると思う。(ただTUGUMIの方がお勧めだが)

2.まとめ


ということで今回は、
ネットビジネス界でYouTubeチャンネル登録者数がトップの
アシタカが、吉本ばななのNPについてお話した。

Sincerely,
Ashitaka

Peace.

【P.S.】

NPを読んでいて、
ローマ時代の哲学者エピクテトスの言葉を思い出した。
「君は死体を持ち運んでいる小さい魂なのだ。」

物心二元論の考えだが、
「我々人間というものは、死ねば魂が我々の生命活動を支えることを止め、
すぐに腐るような肉体を運んでいる」と言っているのだ。

「人も鳥も肉よ。」という言葉を聞いて、
エピクテトスの言葉を思い出した。


やれ人間社会には、
「こうしなければならない」
「ああしなければならない」
という道徳や社会通念という名のしがらみがあるが、

鳥と同じ肉だと思うと、人間社会のしがらみが馬鹿らしくなってこないだろうか。

Peace.

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