ぼくは勉強ができない

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ぼくは勉強ができない
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1.ぼくは勉強ができない


山田詠美の『僕は勉強ができない』*を読んだので、名言・迷言と共に感想をまとめてみた。

人生に役立つような形でまとめてみたので、是非最後まで読んで欲しい。

(*) 最近日本に帰ってきたので、再び海外に行く前に、本を読んでおきたい欲求に駆られている。
それにしても『ぼくは勉強ができない』というタイトルは最近のアニメの妙に長いタイトルと似ている。


1-1.外見について


どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、
その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。


女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞(セリフ)も
色あせるように思うのだ。

僕は、桜井先生の影響で、色々な哲学の本やら小説やらを
読むようになったが、そういう時、
必ず著者の顔写真を探し出して来て、それとてらし合わせて文章を読む。

いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ。


(↑山田詠美さん、あなたの小説を読む読者もあなたの顔を見ながら、
判断することになりますよ。笑)

人を見かけて判断してはいけない」と学校では教師自身も思っていないことを
教わる、いや押し付けられるが、
それは世の中では人をルックス(容姿)で判断しているからに他ならない。


『人は見かけが9割』を持ち出すまでもなく、相手に与える印象において、
見かけは極めて重要である


事実、ラ・ブリュイエールは外見に関してこう言っている。

人々は心情より発する諸徳をほとんど何とも思わず、身体および知能より発する才能を有難がる。
(『カントの人間学』p179)


ショーペンハウアーの研究者である我が師の旧友、中島義道はラ・ブリュイエールの発言に関して、

これは、現代においても恐ろしいほど真実である。
未知の婦人が紹介されるにあたって、彼女は優しくて、包容力があり、公平無私で、謙虚で……
という紹介に半分眠たそうに聞いていた人が、彼女は東大出で、フランス語が抜群で、大変な美人でと言い始めるや否や
目を輝かす。これがわれわれのごく普通の反応である。

われわれは人物の評価に身体の美醜を高得点で算入しておきながら、
あたかもそれが零であるかのようにふるまうという欺瞞を日々実行しているのである。(同書p180)


人は学校で教わったことを、教わった通りに表向きは実行しているというわけだ。

「世界は我が表象である」で有名なショーペンハウアーは、
ヘーゲルの外見についてこう語っている w:

=================

「だから、私は私の明敏なる同国人諸君に忠告したい。
諸君がいつかまた平凡きわまる男を三〇年間も偉大なる思想家として吹聴する気紛れを起こすことになったら、
今度こそはヘーゲルのような、ビヤホールの父親然たる人相の持ち主を選び出さないようにお願いしたいのだ。

自然はこの男の顔の上にきわめて読みやすい筆跡で、
ざらにある「平凡人」という文字を書きつけておいたではないか。(同書p183)


=================

↑そこまで言うかい。(笑)

さらに『随想録』で有名なフランスのモンテーニュは、
自分の外見のために得をしてきたと次のように語っている:

=================

「私はその顔だちから見ても、その人に与える印象から見ても、
得な顔をもっている。……それはソクラテスの顔とはあべこべの印象を与える。

単に私のどっしりした風采や態度を信じただけで、少しも私を知らない人々までもが、
あるいは彼らみずからの問題に関し、あるいは私の問題に関して、大いに私を信頼したことがしばしばあった。

また外国に行っても私はそのために特別稀な待遇を受けた。」

=================

↑まあ、抜け抜けと言ってのけること。(笑)

そう、外見は相手に与える印象の中でも、信用・信頼感に関わっている

実際に、テレビのニュースキャスターには顔の良い(good-looking)、
あるいは不器量ではない顔のキャスターを配置するのは、顔の良さが話の信憑性を上げるからだ。

その点で、「いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ。」
と言う主人公時田秀美の言い分には理がある。



また僕も哲学やビジネス書などの本を読む時には、著者の顔写真を見ながら読むことがある。


読書は著者とのコミュニケーションであるので、顔を見ながら読むと、
実際にコミュニケーションを取っている気になれるので、相手の言い分をより理解しやすくなるからだ。


林修氏も、相手の顔を見ると言っている。




ルックスについてここまで話をしたが、日本人の女性は海外(ヨーロッパ・ラテンアメリカ)で物凄い人気がある。
(Japanse girls are easy.という意味だけでなく、外見も性格も含めて人気がある)

日本人女性の
・低い背
・綺麗な肌
・我が強過ぎないこと
が魅力だと僕の友達はよく言っている。

また日本人は、二重の目がカッコイイ・カワイイと思っているが、
海外には日本人の一重の目が良いと思っている人も多くいるのも事実だ。


1-2.この親にして、この子あり


『ぼくは勉強ができない』で気にくわない所がある。

それは、この本では時田君が教師の教えを盲目的に受け入れず他の生徒と一線を画す存在であることを強調している一方で、
自分の性格(の大部分)を母や祖父の育て方のせいにしていることである。

教師の言うことには従わないが―まあそれはいいことだが―
親の思い通りになるのは良いということか。

例えば、佐藤先生の独善的な「生活指導」に対して
時田君は……

ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。
忙しいのだ。何といっても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃらなことを。
ぼくは、決してしたくないのだから。

と思う一方で……

母さん、どうして、
ぼくをもっと貪欲な人間に育ててくれなかったのですか。
これでは、ぼくは、一生、貧乏のままかもしれない。(p17)


何だ。この腑抜けは。 

確かに、発達心理学的には、我々が大人になってから無意識的に取る行動の9割は
親の真似であると言う。

親の育て方が子供に多大な影響を与えるのは事実である。

しかし、人間は自分の意志で目標を設定して、自分の力で目標を達成することができるのもまた事実だ。

それにもかかわらず、「お母さんのせいで、僕は一生貧乏かもしれない」だと、
これじゃあ、単なる腑抜けじゃないか。

1-3.勉強はどうでも良い


「ぼくは確かに成績悪いよ。
だって、そんなこと、ぼくにとってはどうでも良かったからね。
ぼくは彼女と恋するのに忙しいんだ。脇山、恋って知ってるか。勉強よか、ずっと楽しいんだぜ。

ぼくは、それにうつつを抜かして来て勉強しなかった。
でも、考え変わったよ。
女にもてて、その上成績も良い方が、便利だってことにね。どうしてかって言うと、
おまえのような奴に話しかけられないですむからだ。

よおし、僕は勉強家になるぞ!(p20)」
誰がなるか。


時田君は「学校の成績」が悪いことをほとんど気にしていない。
彼にとって恋愛の方がプライオリティーが高いからだ。

僕はそれで良いと思う。

なぜなら、今(2016年現在)日本の大学に行ったとしても、
医学部以外何の意味もないからだ。

学生諸君は、ジム・ロジャーズも言っている様に外国語を覚えて、
イギリスやアメリカの海外の大学に行きなさい。*
(*) 日本の大学は学問をする場ではなく、単位取得のためのレジャーランドに過ぎない。
イギリスのOxfordやCambridge、アメリカのHarvardやStanfordは学問の場。
日本の大学を卒業しても海外では何の訳にも立たない。



残念なのが、『ぼくは勉強ができない』の最後の方で、
時田君が大学に行くことをほのめかしていることだ。

いやはや残念。

最後まで、「女の子に『うつつを抜かす』ことの方が、
(受験の為の)学校の勉強よりも重要なんだよ、脇山」と言って欲しかった。(笑)

なぜなら学問を学びたいならまだしも、中途半端に周りに流されて、
受験の為の学校の勉強をして、卒業証書を得ようと日本の大学に行っても何の役にも立たないからだ。
特に今の2016年においては。

この一貫性の無さは主人公時田秀美の残念な所となっている。

さて、引き続き『僕は勉強できない』の印象的なパートを紹介しようと思う:

病人にとって大切なのは、その病気が取るに足りないものであると悟らせてくれる周囲の無関心かもしれないなあと思ったりもするのだ。(p113)


セネカ自身も病人が死ぬ原因は、病気そのものではなく、自分が病気であると知ったことにあると言っている。

「病は気から」という言葉は真実である(情報空間と物理空間は連結している)。


また、学年で抜群に可愛い山野舞子に関して、時田君は・・・

山野舞子は、英文をたどたどしく読み、発音を教師に直されると、
片頬に指を当て、困ったように微笑した。

手を抜いていないなあ。
ぼくは、またしても思った。

男子生徒たちは、溜息をつかんばかりに、山野を見詰めていた。
(中略)
しかし、その可愛いとちり方まで、ぼくには、お茶目という高等技術のように
思えるのだ。
(中略)
山野舞子は、着席する時に、肩をすくめて小さく舌を出した。
教師は、なんとも微笑ましい仕草だ、という表情を浮かべながら、予習をもう少しするようにと
優しく注意した


僕の中学時代にも、こういう高等技術を持った子に、
鼻の下を伸ばす教師がいた、いた。哀れな奴だな。

それはそうと、時田君は自分を取り繕って、それがあたかも自然体であるかのように振る舞う女の子が嫌いなのだ。

自然体を取り繕う演技(作為・加工・振る舞い)に嫌悪を感じているのだ。

僕にもハイジのような、取り繕わない人が魅力的に映る。(笑)


時田君に、佐藤先生が「生活指導」と称して…

佐藤先生:「放課後、職員室に来い。時田、この際、おまえに、色々と言って置きたいことがある。
おまえのような生徒は、今の内にしっかり指導しておかないと、世の中に出て、とんでもないことになる。」(p100)(迷言)


学校教師になる輩は非常に傲慢かつ怠惰で鈍感である。

人間の行為・感情・考え方において、
何が正しくて、何が悪なのかについて絶対的に正しいと言えるものなどないのに、
「指導」と称して、自分の考えや社会通念を押し付けてくるのだから、傲慢である。

また、善や悪について突き詰めて考える思考を怠るから、安易に押し付けようとするわけで、
怠惰であり、その思考の必要性を感じないから、一方的に強要できるので、鈍感である。

学校の教師になれるのは、傲慢かつ怠惰で鈍感だからこそなせる業なのである。

因みに、僕は幼稚園の時には、
集団行動が嫌でたまらず、大人の言うことを聞かなかった「手のかかる子供」であった。

「将来はものすごい荒くれ者になるか、成功者になるかのどちらかだ」と言われていた。(笑)

それでも、僕も上手く行っているんだから、
あなたも自分らしく生きていいんじゃないかと思う。


2.まとめ



ということで今回は、
ネットビジネス界でYouTubeチャンネル登録者数がトップの
アシタカが、『僕は勉強ができない』の感想・名言について紹介した。

ではまた。

インターネットライフスタイルを送る
アシタカでした。

Sincerely,

Ashitaka
Peace. 

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